COLUMN Vol.1 華やかなステージに憧れて
私がダンスを始めたきっかけは4歳の頃友達の通うバレエスタジオに習い事として入ったのがきっかけです。
元から身体も堅く、当時はひっこみじあんな性格だったのでバレエの先生は「この子は3ヶ月でやめると思った」と後日おっしゃっていたのを今も覚えています(笑)
そんな私が何故か踊る事は大好きになり、小学校の頃アクターズスクールに憧れて友達の通っているJAZZダンススタジオへ入ったのが今へのきっかけになったと思います。小学校にはなかったダンス部もその友達と作ったりしました。
小さい頃から観劇やステージが好きだったので、ちょっとミーハーに華やかな世界に憧れて入ったタイプです(笑)それでも高校は強いダンス部に入る為に選んだりと、生活の中のリズムに自然とダンスを組み込んでいましたね。
特に高校の部活は厳しく、ダンス以外の礼儀や上下関係も学びました。当たり前の挨拶に始まり、先輩が来たらドアを開け、先生が来たらスリッパを揃え荷物をもつ。上級生が座るまで座らない。
ダンスにはそういう堅い事は必要ないと思うかもしれませんが、私はダンサーとして仕事を頂き社会に出た時にこの厳しい環境で礼儀や人間関係を学べたことは財産だったと思っています。
ストリートダンスに衝撃を受けたのもこの頃で、本当に突発的に、高校の3学期を休んでNYへ留学しました。
HIPHOPのグルーブを見た時にこれは日本で言葉や頭で理解するのではなく、感じたい!と思い行ってしまったんです。
ダンスが「好き」から「仕事」に

帰国後大学は某体育大学の舞踊学科に入学し、同じ頃オーディション等も受け始めダンスのお仕事をさせて頂く機会も出てきました。
実はここでまた私の突発病が発生し、オーディションやレッスンの為に大学を1年で辞めてしまったんです(笑)
「好き」で続けてきたダンスがこのきっかけで「仕事にする」という覚悟にも変わりましたね。
初めての仕事は18歳でやった武富士CMで、同じ歳にKidsレッスンのインストラクターも始めました。
気付けば丸10年になります。
並行してDOLLHOUSEというパフォーマンスチームをやったりLIVE等のサポートもさせて頂きましたが、共通して言えることはダンスを通して出逢えた人やコミュニケーションがここまで続けさせてくれたということです。
スキルを磨くのは自分次第。
そこからは観てくれる人、一緒に踊ってくれる人、関わってくれる人と共にステージがあります。
その中で試練や感動を共有出来たときにたまらなく幸せを感じますね。
踊る事自体の素晴らしさもありますが、私はダンスというものを通してこういう人や感情に出逢えた事が一番の魅力だと思っています。
ダンスを初めて24年。ミーハーでステージに憧れた私が「ダンス」との関わり方で変わって来た部分であり気付いた部分でもあります。
仲間がいること、生徒がいること、たくさんの人が周りにいる事が誇りですし、「ダンス」を通してこれだけの人に出会えた事は自分の「ダンス」への誇りです。
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